2013年11月28日木曜日

朝日 慰安婦問題は日韓間だけの問題ではない

慰安婦問題、インドネシアの女性証言 「日本軍のテントに連行された」

慰安婦問題は日韓間だけの問題ではない。日本政府が約20年前、東南アジアへの波及を防ぐ外交を水面下で進めていたことを朝日新聞は報じた。1942年に日本が占領したインドネシアには、現在も「旧日本軍から性暴力を受けた」「慰安婦だった」と証言する女性がいる。被害状況さえ解明されないまま置き去りにされた彼女たちに会いに行った今夏の取材を報告する。

 赤道直下に浮かぶインドネシア・スラウェシ島には元慰安婦の支援団体がある。これまで団体が聞き取りをしていない人を紹介してほしいと依頼した。

 最初に会ったのは島南西部のシンジャイ県に住むベッチェさん。築数十年の高床式の家を訪ねた。80代半ばで曲がった腰にサロンと呼ばれる布を巻いている。未婚で親戚一家の元に身を寄せている。

 記者は「当時、日本兵に何か怖いことをされたのですか」と切り出した。インドネシアは地域によって言語が異なる。日本語からインドネシア語、そして地域語へ、2回の通訳を経て質問は届く。彼女はつぶやくように話し始めた。

 「あの時、私は10代半ばでした。ある暑い日の夕方、2人の男が家で料理をしていた私を無理やり外に引っ張り出しました」

 男たちはインドネシア語ではない言葉を話し、銃を持っていた。それを見てベッチェさんは日本兵だと思ったという。10分ほどで彼女の目は涙であふれた。

 「娘を連れて行かないでくれ」と叫ぶ父親の目前でベッチェさんはトラックの荷台に押し込まれた。他にも同年代の女性が乗っていたという。着いた場所には「日本軍のテントが張ってあった」。そのうちの一つに連れて行かれ、複数の男に犯されたと語った。

 当時、その場所に出入りしていたというインドネシア人男性・ハムザさんに話を聞くことができた。「日本軍が三つテントを張って7人の女性を閉じ込めていた。そこで彼女(ベッチェさん)を見た。連行したのは地域を管理していた日本兵だ」。当時、若い女性が日本兵の慰安婦にされることが地域で恐れられていたという。

 ベッチェさんは約3カ月後に解放された。だが、家族から「汚い人間は必要ない」と家を追われた。裸足で丸2日歩いた末、知人の住む村で畑仕事を手伝いながら生き延びたという。「これまで何もしてくれなかったインドネシア政府に腹が立つ」。取材を終えた時、紅潮した顔が涙でくしゃくしゃになっていた。

 ■「大きな建物 たくさんの小部屋」

 取材班は、女性たちが被害を受けたと証言する現場を探した。

 島南西部のピンラン県に住むイパティマンさんの証言は詳細だ。当時、働いていた製糸工場内で小銃を持つ男に腕をつかまれた。インドネシア人の顔つきではなく日本兵だと思った。トラックで15分ほど走った所にあるマリンプン地区に連れていかれたという。

 「大きな木造の建物に入れられました。廊下を隔ててたくさんの小さな部屋がありました」。そこに日本兵が次々にやって来て辱めたという。「大声で叫びました。怖くて涙が止まりませんでした」。3カ月後に解放されて間もなく、戦争は終わったという。

 取材班は彼女の家から10キロほどのマリンプン地区に入った。古くから近くに住むタヒルさんという男性が広大な牧草地に案内し、「昔、ここにはたくさんの日本兵がいた。大きな基地だった」と話した。建物跡は見つからなかったが、日本軍がいたという裏付けになる証言だ。

 イパティマンさんは自らが働いていた工場を営む日本企業を正確に覚えていた。今もある大手企業だ。

 取材班は彼女の証言を頼りに、工場があったとみられるピンラン県パチョゲン地区の住宅街の一角に向かった。民家ばかりで工場を思わせる痕跡はない。近くに住むイカラウさんという女性に出会った。

 イカラウさんは、こちらが教えていないのに、イパティマンさんの証言と同じ日本の企業名を言い、「日本軍がいた当時、ここに工場があった」と話した。さらに「母親からは『工場に近づいてはいけない。日本人の嫁にさせられる』と言われた。みんな恐れていた」と続けた。

 取材班は当時の資料にもあたった。スラウェシ島は当時、「セレベス島」と呼ばれた。終戦後、旧日本軍がオランダ軍の求めに応じて作成した「南部セレベス売淫施設(慰安所)調書」には「ピンラン分県ピンラン町」に慰安所があったとある。それがイパティマンさんの言う場所かは不明だ。大手企業に取材すると、スラウェシ島に工場があったとの記録は残っているが、それがパチョゲン地区なのかは「確認のしようがない」とのことだった。

 ■「全土300人以上」の記録も

 日本はインドネシアとの個別の平和条約(58年発効)に基づき約2億2千万ドル(約803億円)を賠償し、戦後処理の一環として約1億8千万ドル(約637億円)の経済協力などを実施した。慰安婦問題の償い事業のため、日本政府の主導で95年に設立された「女性のためのアジア平和国民基金」(アジア女性基金)も償い金として3億7千万円を支援。インドネシア社会省は高齢者福祉施設69カ所の建設や修繕費に充てた。

 基金の記録によると、スラウェシ島の21カ所を含め、インドネシア全土には少なくとも40カ所弱の慰安所があり、300人以上の慰安婦がいた。これらの数字は「南部セレベス売淫施設(慰安所)調書」などに基づくものだ。

 基金は調査報告書でインドネシアには中国、朝鮮、台湾出身の慰安婦もいたが、「多くは村落社会から募集された」と指摘。軍が管理した慰安所以外に「特定の部隊が独自に女性を集めて自分たちだけが利用した私設の慰安所のようなところ」もあったとした。

 93年に現地調査した日本弁護士連合会は女性8人から「慰安婦にされた」との証言を得た。その報告書に「慰安所が各地に設けられ、若い女性が性的関係を強要された」とまとめた。

 ■内容は克明、答えに矛盾なし

 取材班は今年7月、スラウェシ島に約2週間滞在し、元慰安婦や目撃者と名乗る約20人と会った。インドネシアには多様な地域語があり、多くの場合、日本語からインドネシア語、そして地域語に2度の通訳を介して話を聞いた。取材を拒む人や、記事にしない条件で話す人もいた。

 彼女たちの証言を完全に裏付ける資料は見つからなかったが、内容は克明で信用できた。連行の様子や閉じ込められた部屋の特徴、どんな辱めを受けたか、解放後どうやって帰宅したか、どれも具体的だった。

 金銭を受け取ったか、どうして逃げなかったのかという話しづらいことも聞いた。金銭を受けたという人はおらず、見張りや仕返しが怖くて逃げられなかったという答えが相次いだ。同じことを角度を変えて何度か聞き直しても答えに矛盾はなかった。70年たった今も彼女たちは苦しみ続けていた。

 (鬼原民幸、板橋洋佳)

 <報道の経緯>

 朝日新聞は90年代の慰安婦問題に関する数千枚の外交文書を情報公開で入手し、当時の政府高官らの証言とあわせ、慰安婦問題の拡大を防ごうとした日本外交の裏側を10月13日付朝刊で詳報した。日本政府が当時、韓国で大きくなった慰安婦問題が他国に波及するのを恐れ、東南アジアで聞き取り調査をしなくて済むよう動いていたという内容。

 ■日本兵から性被害を受けたという女性たちの主な証言

【名前】 証言内容

     *

【テンバ】 自宅から連行。昼は紡績工場で強制労働、夜は宿舎から出られず。特定の日本兵が毎週のように部屋へ。4カ月後に解放。家族に打ち明けてこなかった。

【イタン】 市場から複数の女性とともに連行。3畳ほどの部屋で3カ月間、何人もの日本兵の相手に。自殺も考えた。今も寝る前や食事の時に記憶がよみがえる。

【チェンボ】 道端で物売り中、常連の日本兵によって連行。3カ月の監禁後、その日本兵と結婚し妊娠。終戦で離別してから連絡が取れず、1人で子どもを育てる。

【ミナ】 畑の帰りに父親の目の前で連行。1年以上、毎日複数の日本兵に辱められる。誰も避妊せず2回妊娠し、流産した。銃で殴られ右目を失明した。

【ミナサ】 自宅近くの森に連行。草を布団代わりにして犯される。終われば帰宅できたが、3人の日本兵がほぼ毎日やって来た。今も日本人が怖く、憎んでいる。

【アティ】 自宅から日本軍管理の石灰工場へ連行。朝から働き、午後は部屋に複数の日本兵が。数カ月後に隙を見て逃亡。心が壊れた体験で、詳しく話したくない。

【サニアガ】 村長に命令され日本軍の施設に。強制労働中に何度も「バッキャロー」と言われた。自分の経験は話せないが、日本兵の子を妊娠して殺された女性もいた。

 (敬称略。すべて取材班への証言。現在の年齢はいずれも80~90代)

http://digital.asahi.com/articles/TKY201311270675.html?_requesturl=articles/TKY201311270675.html&ref=comkiji_txt_end_s_kjid_TKY201311270675

2013年11月18日月曜日

パク・クネ 歴史認識

ベトナム訪問の朴大統領 過去の戦争の歴史で謝罪せず

 【ソウル=黒田勝弘】ベトナム訪問中の朴槿恵(パク・クネ)大統領が過去の戦争の歴史について謝罪発言などまったくせず、ベトナム側も何ら要求していないことが韓国で話題になっている。10日付の新聞論調では、韓国が日本に対してしきりに「歴史直視」を要求していることと矛盾するではないかとの皮肉も出ている(ハンギョレ新聞社説)。

 韓国は1960~70年代のベトナム戦争で米軍支援のため延べ30万人以上の部隊を派兵し、部分的に“住民虐殺事件”もあったとされる。ベトナム統一後、両国は92年に国交を結んだが、ベトナムは韓国に対し謝罪や反省、補償など一切求めなかった。

 しかし2001年、金大中(キム・デジュン)大統領がベトナム訪問の際、「不本意ながらベトナム国民に苦痛を与えたことを申し訳なく思う」と“謝罪”した。これに対し当時、野党だった朴槿恵ハンナラ党副総裁は「金大統領の歴史認識を憂慮せざるを得ない。参戦勇士の名誉を傷つけるものだ」と批判した経緯がある。

 ベトナム派兵は父・朴正煕(チョンヒ)大統領(当時)の決断で行われたものだが、朴槿恵大統領は今回の訪問に際しベトナムの国父ホー・チ・ミンの廟(びょう)参拝、献花の時を含め戦争の歴史にはまったく触れず、もっぱら経済協力問題に終始した。

中央日報は1面トップ記事で「父の時代の歴史に対する和解」とし「過去についての両国の成熟した立場と、間違った歴史認識にとらわれている日本を比較することになる」「日本への圧迫の意味もある」と奇妙な解釈を加えている。

 朴槿恵大統領が謝罪をしなかった背景には、ベトナム戦争を米韓による侵略戦争とするベトナム側と「自由を守るための戦争」とする自らとの間に歴史認識の違いがあるからだ。

 にもかかわらずベトナムが韓国に歴史認識の一致や謝罪、反省を求めず未来志向の協力関係を重視する“成熟”した態度は、日本ではなくむしろ韓国の対日姿勢に対する教訓であり“圧迫”になるものだろう。

 一方、韓国マスコミはベトナムが60年以上も植民地支配したフランスに対して謝罪や反省、補償など一切求めていないことにはまったく触れていない。


http://megalodon.jp/2013-1112-2019-52/sankei.jp.msn.com/world/news/130910/asi13091021240000-n1.htm
http://megalodon.jp/2013-1118-2049-21/sankei.jp.msn.com/world/news/130910/asi13091021240000-n2.htm

2013年11月13日水曜日

森本敏

-対中・対韓関係は今後どう進めるべきか。

 「いわゆる従軍慰安婦問題は日韓基本条約によって処理済みだ。基金もつくったが、(日本の)支払いを拒否したのは韓国側。関係悪化で困惑するのは韓国ではないか。北東アジアの安定は日本との協力なくしてはやっていけない」

神奈川新聞 2013.11.13
http://megalodon.jp/2013-1113-2044-47/news.kanaloco.jp/localnews/article/1311130009/


2013年11月3日日曜日

国連 サイドイベント

韓国挺身隊問題対策協議会と国際アムネスティが共同主催した"日本軍性的奴隷生存者のための定義"行事にはキム・ボクトンおばあさん(88)が韓国で直接参加した中で、各国の国連代表部および国連人権機構関係者、関連団体が参加して日本軍'慰安婦'問題に対する深い関心を表わした。

真実定義特別報告官は今回の行事で"日本軍'慰安婦'問題に対する日本の謝罪は充分でない"と指摘しながら'公式的な謝罪は被害者が権利の保有者ということを明らかに確認するということでなければならない'で強調した。 また、日本政府に適切な措置を取ることを促しながら'日本軍性的奴隷問題を解決しないのは不信を産むこと'と釘を刺した。 国連女性暴行特別報告官が指摘したことのままに、'被害者は公式的な謝罪と国家的責任の公式認定が欠如した経済的補償は望まない'でもう一度言及して'1995年日本政府が設立したアジア国民基金は日本軍'慰安婦'問題を解決できなかった'で強調した。 特に日本の教科書で'慰安婦'に対する技術が削除されたことに対して深い憂慮を現わした。

これに先立ち今回の行事に参加するために去る9日ジュネーブで来たキム・ボクトンおばあさんは'日本政府に要求するのはお金をくれというのではなく公式謝罪と法的賠償としこのために各国政府が努力することを訴えた。 この日行事では中国、日本軍'慰安婦'被害者の娘が映像発言を通じて日本政府の謝罪を促したし、カナダ アルファ(ALPHA)で韓国系、日系青少年が参加して日本軍'慰安婦'問題を学び参加した経験を通じて正しい歴史教育を訴えた。 この他にも日本軍'慰安婦'問題解決のための経過および市民社会が広げてきた活動に対する挺身隊対策協(ユン・ミヒャン常任代表)および国際アムネスティの報告と日本軍'慰安婦'問題解決に失敗している日本政府の状況に対する前田朗日本造形大学教授の発表が成り立った。

一方今回の行事に招請したが参加しなかった日本政府は国際アムネスティに送った立場門を通って安倍総理が去る8月15日戦没者追悼式で'(日本政府)は謙虚に歴史を向き合って私たちが習わなければならない教訓を心深く刻んで入れる'で発言したことがあるとしながら安倍総理と前任者は'慰安婦'らに深い同情(動静)と配慮を感じると言及して安倍総理と内閣が最近吐き出した日本軍'慰安婦'被害者に対する妄言とは全面的に矛盾する立場を明らかにした。 また、日本政府はこの問題に対して何度も、明確に謝罪を表明したと主張してアジア国民基金を言及するなど国際社会の認識とはかけ離れた既存の主張を繰り返した。
国際アムネスティは今回の行事を契機に、日本を含んだG8国家が2013年4月11日G8外相会談で採択した‘展示性暴行根絶に関するG8宣言’を履行するためには日本政府の日本軍'慰安婦'問題解決が先行しなければならないという内容を入れた公開書簡を日本政府に伝達したことがあって、米国、英国、ドイツをはじめとするG8国家に日本政府に対する問題解決を促すことを要求する活動を繰り広げている。

キム・ボクトンおばあさんと挺身隊対策協は14日までスイス、ジュネーブで各国政府および関係者たちに会って日本軍'慰安婦'問題解決のための支援を要請する面談活動を引き続き広げた後、フランス、パリに移動して水曜デモ、証言行事など多様な活動を続けさせる予定だ。

FB 2013.9.13
http://megalodon.jp/2013-1103-1355-26/archive.is/lMwxX


한국정신대문제대책협의회와 국제앰네스티가 공동주최한 "일본군성노예 생존자들을 위한 정의" 행사에는 김복동 할머니(88)가 한국에서 직접 참석한 가운데, 각국의 유엔 대표부 및 유엔인권기구 관계자, 관련 단체들이 참석하여 일본군'위안부' 문제에 대한 깊은 관심을 드러냈다.

진실정의 특별보고관은 이번 행사에서 "일본군'위안부' 문제에 대한 일본의 사과는 충분치 않다"고 지적하면서 '공식적인 사과는 피해자들이 권리의 보유자라는 것을 분명하게 확인하는 것이어야 한다'고 강조했다. 또한 일본정부에 적절한 조치를 취할 것을 촉구하면서 '일본군성노예 문제를 해결하지 않는 것은 불신을 낳는 일'이라고 못박았다. 유엔 여성폭력특별보고관이 지적한 바대로, '피해자들은 공식적인 사죄와 국가적 책임의 공식 인정이 결여된 경제적 보상은 원하지 않는다'고 다시 한 번 언급하며 '1995년 일본정부가 설립한 아시아국민기금은 일본군'위안부' 문제를 해결하지 못했다'고 강조했다. 특히 일본의 교과서에서 '위안부'에 대한 기술이 삭제된 데 대해 깊은 우려를 나타냈다.

이에 앞서 이번 행사에 참석하기 위해 지난 9일 제네바로 온 김복동할머니는 '일본정부에게 요구하는 것은 돈을 달라는 것이 아니라 공식 사죄와 법적 배상이라며 이를 위해 각국 정부가 힘써줄 것을 호소했다. 이날 행사에서는 중국 일본군'위안부' 피해자의 딸이 영상 발언을 통해 일본정부의 사죄를 촉구하였으며, 캐나다 알파(ALPHA)에서 한국계, 일본계 청소년들이 참석하여 일본군'위안부' 문제를 배우고 참여한 경험을 통해 올바른 역사교육을 호소했다. 이밖에도 일본군'위안부' 문제해결을 위한 경과 및 시민사회가 펼쳐 온 활동에 대한 정대협(윤미향 상임대표) 및 국제앰네스티의 보고와 일본군'위안부' 문제 해결에 실패하고 있는 일본정부의 상황에 대한 마에다 아키라 일본 조케이 대학 교수의 발표가 이루어졌다.

한편 이번 행사에 초청했으나 참석하지 않은 일본정부는 국제 앰네스티에 보낸 입장문을 통해 아베 총리가 지난 8월 15일 전몰자추도식에서 '(일본정부)는 겸손하게 역사를 마주하고 우리가 배워야 할 교훈을 마음 깊이 새겨 넣는다'고 발언한 바 있다면서 아베 총리와 전임자들은 '위안부' 들에게 깊은 동정과 배려를 느낀다고 언급해 아베 총리와 내각이 최근 쏟아낸 일본군'위안부' 피해자들에 대한 망언과는 전적으로 모순되는 입장을 밝혔다. 또한 일본정부는 이 문제에 대해 여러 번, 분명히 사과를 표명했다고 주장하며 아시아국민기금을 언급하는 등 국제사회의 인식과는 동떨어진 기존의 주장을 반복했다.
국제앰네스티는 이번 행사를 계기로, 일본을 포함한 G8 국가들이 2013년 4월 11일 G8 외무장관회담에서 채택한 ‘전시성폭력 근절에 관한 G8 선언’을 이행하기 위해서는 일본정부의 일본군'위안부' 문제해결이 선행되어야 한다는 내용을 담은 공개서한을 일본정부에 전달한 바 있으며, 미국, 영국, 독일을 비롯한 G8국가들에 일본정부에 대한 문제해결을 촉구할 것을 요구하는 활동을 펼쳐나가고 있다.

김복동할머니와 정대협은 14일까지 스위스 제네바에서 각국 정부 및 관계자들을 만나 일본군'위안부' 문제 해결을 위한 지원을 요청하는 면담활동을 계속해서 펼친 후, 프랑스 파리로 이동해 수요시위, 증언행사 등 다양한 활동을 이어나갈 예정이다.

ラジオ仏

キム・ボクトンおばあさんとパリに無事に到着した後昨日は国際アムネスティ フランス支部代表と国際連帯担当者に会いました。 これらは橋本大阪市長の発言に対して絶対有り得ないことと釘を刺して問題解決のための日本市民の責任も大きいという点を強調しました。 おばあさんがフランスを選択して訪ねてきたことに対して繰り返し監査(感謝)を伝えたりもしました。 今キム・ボクトンおばあさんはラジオフランスとインタビューをしています。

FB 2013.9.17
http://megalodon.jp/2013-1103-1348-00/archive.is/cZ1Aq

김복동할머니와 파리에 무사히 도착한 후 어제는 국제앰네스티 프랑스지부 대표와 국제연대 담당자를 만났습니다. 이들은 하시모토 오사카 시장의 발언에 대해 절대 있을 수 없는 일이라고 못박으며 문제해결을 위한 일본시민들의 책임도 크다는 점을 강조했습니다. 할머니가 프랑스를 선택해 찾아와 준 데 대해 거듭 감사를 전하기도 했습니다. 지금 김복동할머니는 라디오프랑스와 인터뷰를 하고 있습니다.

仏議員と

今日会った女性上院議員は力があふれる方でした。 女性権担当国務長官を歴任したりもしたし戦争で被害を受ける女性たち問題にすでに大いなる関心と心を注いでいました。 ドイツの場合を例にあげて清算することがかえってすっきりしているという言葉も忘れなかったです。 今日の出会いを報告書で整理してすべての関係者たちとも共有することを約束しました。 出会いが終わった後ペブクに上げるとして写真がチャルラオは所を探して自らおばあさんをパシャッパシャッとる姿がおもしろいですね^^

FB 2013.9
http://megalodon.jp/2013-1103-1344-38/archive.is/DeN8u

오늘 만난 여성 상원의원은 힘이 넘치는 분이었습니다. 여성권 담당 국무장관을 역임하기도했고 전쟁으로 피해입는 여성들 문제에 이미 많은 관심과 마음을 쏟고 있었습니다. 독일의 경우를 예로 들며 청산하는 것이 오히려 깔끔하다는 말도 잊지않았습니다. 오늘의 만남을 보고서로 정리해 모든 관계자들과도 공유할 것을 약속했습니다. 만남이 끝난 후 페북에 올리겠다며 사진이 잘나오는 곳을 찾아 손수 할머니를 찰칵찰칵 찍는 모습이 재밌네요^^

仏 国家人権委員会


今日はフランス国家人権委員会を訪問しました。 ILO協約担当者として日本軍'慰安婦'問題に対して日本政府の謝罪が必ず必要だという話を伝えておばあさんの訪問を感謝しました。 ILOで日本政府のロビーのためにこの問題が扱われない状況を惜しんで必ず日本政府が勧告に従って問題解決をしなければならないという意見を惜しまなかったです。 ところで話を交わして見たら日本政府が国際社会にしている偽りなった主張を情報で受けていたのためにすでに日本政府から賠償がある程度成り立ったと理解していました。 これに対し国民基金の問題点、日本政府の二重プレーなどに対して説明し始めました。 たとえ時間のためにとても十分な情報をみな伝達できなかったが説明を聞いた担当者はびっくりして必ずおばあさんのお言葉と今日の出会いに対して次にILOミーティングの時報告すると約束しました。 日本政府の嘘と歪曲、経済力を前に出した黒いロビーを再び実感します。

2013.9
FC http://megalodon.jp/2013-1103-1338-11/archive.is/ZtbUv

오늘은 프랑스국가인권위원회를 방문했습니다. ILO협약 담당자로서 일본군'위안부'문제에 대해 일본정부의 사죄가 반드시 필요하다는 이야기를 전하며 할머니의 방문을 감사해했습니다. ILO에서 일본정부의 로비 때문에 이 문제가 다루어지지 않는 상황을 안타까워하며 반드시 일본정부가 권고에 따르고 문제해결을 해야한다는 의견을 아끼지 않았습니다. 그런데 얘기를 나누다보니 일본정부가 국제사회에 하고있는 거짓된 주장을 정보로 받고 있었기때문에 이미 일본정부로부터 배상이 어느정도 이루어진 것으로 알고있었습니다. 이에 국민기금의 문제점, 일본정부의 이중플레이 등에 대해 설명하기 시작했습니다. 비록 시간때문에 아주 충분한 정보를 다 전달하진 못했지만 설명을 들은 담당자들은 깜짝 놀라며 반드시 할머니의 말씀과 오늘의 만남에 대해 다음 ILO미팅 때 보고하겠다고 약속했습니다. 일본정부의 거짓말과 왜곡, 경제력을 내세운 검은 로비를 다시 실감합니다.

仏外務省と



9月20日金曜日、フランス外交部を面談して出てくるところに今回の国連とフランスキャンペーンを共に主催.連帯しているアムネスティ活動家とともに記念撮影をしました。 後に見える建物が外交部建物です。 アムネスティ活動家はフランスアムネスティ国際連帯担当責任者です。
外交部国連との児童人権責任者とアジア人権責任者に会ったが、お二人様全部女性でした。 本来はアジア地域とも共にくることにしたが、他の急な日程のために出てくることができなかったといいます。
互いに儀礼的な挨拶を交わして、"今日は聞くためにきた"と私たちの話を聞きたがりました。 先に、キム・ボクトンおばあさんが"私は88才キム・ボクトンといいます。"として話し始められたし、日帝によって国を奪われた話から始めて十四才少女の年齢に日本軍の性的奴隷になって二十二才に家に戻ることまでの痛恨の話を再び繰り返して話しました。 "わが国の力だけでもならなくて世界の色々な国が力を合わせて日本政府を圧迫して私が死ぬ前にこのすべての問題がみな解決されて日本政府が法的に謝罪して賠償するように、それで一日でも気持ちゆっくり生きて死ねるように協力するようにお願いしたいです。 それが願いです。"フランス外交部担当者は日本政府がすでにロビーある文書を通じて日本政府が被害者に謝罪もして、賠償もしたことで理解していました。 アジア女性基金を通じて金銭的賠償もしたと聞いて分かっていました。 キム・ボクトンおばあさんは"私は戦争の時慰安所でもお金とは一銭も見物して見たことがなくて、解放後帰ってきても日本政府にお金とは受けてみたことがありません。"と話して、ユン・ミヒャン代表は日本軍'慰安婦'問題解決のための国連とアジア被害女性らと国連、ILo世界各国議会決議採択過程などを説明して、日本政府と社会で進行している被害者に対する第2,第3の加害行為を是正して、被害者の人権回復のために国際社会の圧力が必要で、これのためにフランス政府の役割を要求しました。
この問題がまだ解決されないでいることには戦争が終わった時まともに戦争犯罪者を処罰しなかった国際社会にも責任があるとのことも言及しました。 合わせて、2008年国連人権理事会でフランス政府が日本政府に向かって日本軍'慰安婦'問題解決を要求する発言をしたが、2012年にはしないので2008年に発表した政府の立場は変わることがないのか尋ねました。
外交部担当者は2012年には弁解のようだが時間がなくて発言をすることができなかったが、私たちの政府の立場は2008年と立場は同じだと答えて、'慰安婦'問題は今でも続いている展示性暴行問題なのでフランス政府も展示性暴行問題解決のために努力していて、今後さらに積極的に変わることだと答えました。
一時間の間の出会いを通じてその間加害国の立場だけ聞いて知っていたフランス政府に被害者とこれを支援する女性たちの声をきちんと知らせることができました。 今後フランス政府が国連で、日本との外交関係で積極的な活動をできるようにずっと努力しなければならないようです。
外交部面談を終えて出てきた道に私たちのパリキャンペーンを一緒にしているフランスアムネスティ国際担当責任者とともに意味と評価に対して話を交わして、このように写真ワンカットで記憶で残しました。

2013.9 FB

http://megalodon.jp/2013-1103-1331-44/archive.is/uW2Y8

9월 20일 금요일, 프랑스 외교부를 면담하고 나오는 길에 이번 유엔과 프랑스캠페인을 함께 주최.연대하고 있는 엠네스티 활동가와 함께 기념촬영을 했습니다. 뒤에 보이는 건물이 외교부 건물입니다. 엠네스티 활동가는 프랑스엠네스티 국제연대담당책임자입니다.
외교부 유엔과의 아동인권 책임자와 아시아인권책임자를 만났는데, 두 분 모두 여성이었습니다. 원래는 아시아지역과도 함께 오기로 했는데, 다른 급한 일정때문에 나오지 못했다고 합니다.
서로 의례적인 인사를 나누고, "오늘은 듣기 위해서 왔다"고 우리의 이야기를 듣고싶어 했습니다. 먼저, 김복동 할머니께서 "나는 88세 김복동이라고 합니다." 라며 말문을 여셨고, 일제에 의해 나라를 뺏긴 이야기부터 시작하셔서 열 네 살 소녀의 나이에 일본군의 성노예가 되어 스물 두 살에 집으로 돌아오기 까지의 뼈아픈 이야기를 다시 반복해서 이야기하였습니다. "우리 나라 힘 만으로도 되지가 않아서 세계 여러 나라가 힘을 합해 일본정부를 압박해서 내가 죽기 전에 이 모든 문제가 다 해결되어서 일본정부가 법적으로 사죄하고 배상하도록, 그래서 하루라도 맘 편히 살다가 죽을 수 있도록 협력해 주시기를 부탁드리고 싶습니다. 그것이 소원입니다."
프랑스 외교부 담당자들은 일본정부가 이미 로비한 문서를 통해 일본정부가 피해자들에게 사죄도 하고, 배상도 한 것으로 이해하고 있었습니다. 아시아여성기금을 통해 금전적 배상도 했다고 들어 알고 있었습니다. 김복동 할머니는 "나는 전쟁때 위안소에서도 돈이라고는 한 푼도 구경해 본 적이 없으며, 해방 후 돌아오고 나서도 일본정부에게 돈이라고는 받아본 일이 없습니다."고 말하고, 윤미향 대표는 일본군'위안부' 문제 해결을 위한 유엔과 아시아피해여성들과 유엔, ILo 세계각국의회 결의 채택 과정 등을 설명하고, 일본정부와 사회에서 진행되고 있는 피해자에 대한 제2, 제3의 가해행위를 시정하고, 피해자들의 인권회복을 위해 국제사회의 압력이 필요하며, 이를 위한 프랑스 정부의 역할을 요구했습니다.
이 문제가 아직도 해결되지 않고 있는 것에는 전쟁이 끝났을때 제대로 전쟁범죄자를 처벌하지 않았던 국제사회에도 책임이 있다는 것도 언급했습니다. 아울러, 2008년 유엔인권이사회에서 프랑스 정부가 일본정부를 향해 일본군'위안부' 문제 해결을 요구하는 발언을 했는데, 2012년에는 하지 않아서 2008년에 발표한 정부입장은 변함이 없는지 물었습니다.
외교부 담당자들은 2012년에는 변명같지만 시간이 없어서 발언을 하지 못했지만, 우리 정부의 입장은 2008년과 입장은 같다고 답변하고, '위안부' 문제는 지금도 계속되고 있는 전시 성폭력 문제이기 때문에 프랑스 정부도 전시성폭력 문제 해결을 위해 노력하고 있으며, 앞으로 더 적극적으로 변할 것이라고 답변했습니다.
한 시간 동안의 만남을 통해 그동안 가해국 입장만 들어 알고 있던 프랑스 정부에게 피해자와 이를 지원하는 여성들의 소리를 제대로 알릴 수 있었습니다. 앞으로 프랑스 정부가 유엔에서, 일본과의 외교관계에서 적극적인 활동을 할 수 있도록 계속 노력해야 할 것 같습니다.
외교부 면담을 마치고 나오던 길에 우리의 파리캠페인을 함께 해주고 있는 프랑스엠네스티 국제담당책임자와 함께 의미와 평가에 대해 이야기나누고, 이렇게 사진 한 컷으로 기억으로 남겼습니다.