2013年10月5日土曜日

FJ 15 Q&A

2 慰安所における実態

1 文書がないから事実(被害)を証明できないか?

このQから直ぐ思いつくのは、辻元議員の質問主意書に対する前安倍内閣の答弁書です。それには「(1993年の政府)調査結果の発表までに政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」とあります。(2007・3・16)。更に安倍総理は国会答弁で、①軍や官憲が「家に押し入って人さらいのごとく」連行する狭義の強制性と、②「行きたくないけれどもそういう環境の中にあった、結果としてそういうことになったことについての関連があった」という広義の強制性に分け、①はそれを示す文書が無いから事実ではない。このことが「重要」で、米下院決議は事実誤認に基づいている。従って決議があがっても謝罪しない、と答弁しています(2006・10・6衆・予算委、2007・3・5参・予算委)。つまり、事実は、貧しい家計のためにお金を稼ごうと「慰安婦」になった「商行為」であり、国に責任はないという認識に立っています。
(下線は筆者。以下も同様。)



この「文書が無いから強制連行の事実が無い」という論理は多くの観点から反論できます。例えば、

1、多くの文書は、敗戦直後焼却処分された。

2、そもそも家に押し入って拉致せよというような公文書は作らない。

3、政府発見の資料の中には記述が無いと言いながら、実は他に戦後のバタビア裁判等の資料があり、安倍総理もオランダ人に対しては軍による強制連行を認めている(2007・3・26参・予算委。他にも東京裁判、オランダ政府の調査報告書等がある)。

4、事実を証明する証拠は文書だけではないし、文書に残らない(なじまない)事実は証言によってこそ明らかにされる(オーラルヒストリーの重要性)。また、文書の方が価値が高いということもない。裁判においては、書証も証言も同様に証拠として扱われ、どちらもその内容に信憑性があるかどうかの吟味を経て事実認定に使われる。

5、そもそも、この問題の本質は募集時の強制連行ではなく、慰安所での性行為の強制(性奴隷化)であり、その慰安所制度を展開した日本の責任問題である、等です。



■ここでは、4と5 について日本の裁判の判決を中心に具体的に考えていきましょう。

4では、まず被害者の証言が重要です。提訴された10件の「慰安婦」裁判のうち8件の判決では、原告(高裁なら控訴人)の証言(陳述や供述)が他の証拠と照らして厳密に判断されて、一人ひとりの被害事実が明確に認定されています。

(なお、賠償請求は認められませんでしたが、事実認定は確定しています。)



■以下、判決で示された事実認定を紹介しましょう。

なおここで紹介する裁判の判決文は、坪川宏子・大森典子編著『日本の司法が認定した「慰安婦」』かもがわブックレット、2011年、に掲載されていますので、くわしくはそのブックレットをご覧ください。



【1】狭義の強制連行を事実認定している判決

(1)中国人「慰安婦」損害賠償請求(第一次)裁判  東京高裁判決( 2004・12・15)



第3 当裁判所の判断

1 本件各行為及びその背景事情について

証拠(甲3ないし11…以下略、当審における証人近藤、同石田、原審における控訴人李本人、同控訴人周本人、原審及び当審における劉本人)及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。(一部公知の事実を含む。)

(1)(前略) なお、日本軍が占領した地域(注:山西省太原)には、日本軍人の強姦事件を防ぐ等の目的で、「従軍慰安所」が設置され、日本軍の管理下に女性を置き、日本軍将兵や軍属に性的奉仕をさせた。八路軍が1940年8月に行った大規模な反撃作戦により、日本軍北支那方面軍は大損害を被ったが、これに対し、北支那方面軍は、同年から1942年にかけて徹底した掃討、破壊、封鎖作戦を実施し(いわゆる三光作戦)、日本軍構成員による中国人に対する残虐行為も行われることがあった。このような中で、日本軍構成員によって、駐屯地近くに住む中国人女性(少女も含む)を強制的に拉致・連行して強姦し、監禁状態にして連日強姦を繰り返す行為,いわゆる慰安婦状態にする事件があった。

これに続く項で、控訴人4人の一人ひとりの拉致・連行が認定されています。劉面換さんの例をあげます。



(3)控訴人劉の被害事実等

控訴人劉は、…3人の中国人と3人の武装した日本軍兵士らによって無理やり自宅から連れ出され、銃底で左肩を強打されたり、後ろ手に両手を縛られるなどして抵抗を排除された上、進圭社にある日本軍駐屯地に拉致・連行され、ヤオドンのなかに監禁された。当日…多数の日本軍兵士らによって強姦された。(以後も続く)



ほか3件の中国人裁判(中国人第二次裁判、山西省裁判、海南島裁判)でほとんどすべての被害者について、安倍総理や右派が否定する、軍による拉致・監禁・連日の強姦(いわゆる慰安婦状態)という記述で、狭義の強制連行が事実認定されています。

占領地(中国・フィリピン・インドネシア等々)の場合はそれがほとんどです。(フィリピン・台湾の裁判では事実認定をしませんでしたが、被害事実を否定したのではなく、損害賠償の判断に事実認定は不必要と判断したためです。)



(2)では、植民地朝鮮の場合は、どうでしょうか?

朝鮮の場合も、狭義の強制連行が認定されています。



アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求訴訟 東京高裁判決 (2003・7・22)



(二)控訴人ら各自の事実経過について

控訴人らと被控訴人(国)との間において争いがない事実に証拠(各控訴人ごとに末尾に掲記)及び弁論の全趣旨を併せると次の事実が認められる。

(2)軍隊慰安婦関係の控訴人ら

ウ、控訴人盧清子は、…数え17歳の春、10人位の日本人の軍人に、手足をつかまれて捕えられ、トラックと汽車を乗り継がされ、オオテサンの部隊の慰安所に連れて行かれた。…(甲47の2)

カ、控訴人金福善は、…昭和19年夏、日本人と朝鮮人が来て「日本の工場に働きに行けば、一年もすれば嫁入り支度もできる」と持ちかけられ、断ったものの、強制的にラングーンに連れて行かれ、慰安所に入れられた。…(甲51の1ないし3、控訴人金福善)

しかし、一般的には、植民地では就労詐欺・甘言による場合が多く、多くは海外へ連行されています。





【2】詐欺・甘言による連行を認定した判決

アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求訴訟 東京高裁判決 (2003・7・22)

エ、控訴人金田きみ子こと朴福順は、…数え17歳の時、「日本人の紹介するいい働き口がある」と聞いて行ったところ、日本人と朝鮮人に、…を経て連れて行かれた棗強、石家荘、…など中国各地の慰安所において、一日10ないし30人の軍人に性行為を強要された。…(甲49の1ないし3,7,11、控訴人金田)



釜山従軍慰安婦・女子勤労挺身隊公式謝罪等請求訴訟、山口地裁下関支部

いわゆる関釜裁判(1998・4・27)

(三)原告李順徳は、…昭和12年、満17,8歳のころ、…畦道で…朝鮮人の男から、「…履物もやるし、着物もやる。腹一杯食べられる所に連れて行ってやる」と声をかけられた。家が貧しく…ついて行くことに決めた。同女が「父母に挨拶してから行きたい」と懇請したにもかかわらず、その男は「時間がない。急ごう」と言って、同女の手を引っ張って行った。…恐ろしく恥ずかしくて…泣きながら連れて行かれた。その途中、男の前を歩かされ…旅館に連れて行かれた。同旅館の部屋は、外から鍵がかけられ、…同じような年齢の娘たちが14・5人おり、いずれもどこに何のために連れて行かれるのか分からず泣いていた。…日本軍の軍人3人が同女らを…列車に乗せて…上海駅まで連れて行った。……解放の時まで約8年間、毎日朝9時から、平日は8,9人、日曜日は17,8人の軍人が、小屋の中で同女を強姦し続けた。…〔以下略〕



■さて、右派は狭義の強制連行だけにこだわっていますが、狭義の強制と広義の強制を区別することは全く意味がありません。

例えば、上記の事実認定を読むと、甘言による連行も実際は拉致と紙一重と分かります。つまり、大騒ぎになる拉致より貧しい少女を騙す方が簡単であり、一旦連れ出したら即(そく)強制連行(部屋には鍵をかけ、列車では見張りを付け、逃げられない)という手口が分かり、より狡猾で組織的であるといえるでしょう。

また、根本的に、拉致も詐欺も本人の意思に反した連行であり、当時の国内法(刑法)や国際法(醜業条約等)では、どちらも区別なく同罪とされています。(別項目で詳説)

また、たとえ、軍でなく業者だ(広義)といっても、業者は日本軍が要請し、選定した業者であり、海外移送には日本軍(渡航許可)と政府(身分証明書発行)が直接に関与していて、軍・国の責任は免れません。



■次に、5、そもそも「この問題の本質は募集時の強制連行の有無ではなく、慰安所での性行為の強制(性奴隷化)である」については、いかがでしょうか。

端的な例として、元外交官、東郷和彦氏は以下のように書いています。

議論に参加したアメリカ人から言われたことは、世界がこの問題を見る目がどこにあるかを知るうえで、青天の霹靂だった。日本で強制連行の有無について繰り広げられる議論は、この問題の本質にとって全く無意味である。世界の大勢は誰も関心を持っていない。多くの米国人が考えるのは、自分の娘が慰安婦にされたらどう考えるか、という一点のみである。そしてゾッとする。これがこの問題の本質である。ましてや騙されて連れてこられ、気がついた時には拒否できないのでは、後は聞く耳を持たない。「強制連行」とどこが違うのか。女性の尊厳と権利を踏みにじることについては、過去のことであれ、現在のことであれ、少しでもこれを正当化したら、社会から総反撃を受けることになる」(『世界』2012・12月号、『歴史と外交』講談社現代新書より、ほぼ原文通り引用)

皆さんも自分に引き寄せて考えれば、同感ではないでしょうか。



■判決では、慰安所での生活をどのように事実認定しているでしょうか。

【3】慰安所での性行為の強制や暴力的な状況を認定した判決

(1)朴頭理さん (関釜裁判 下関判決) 以下「  」は判決原文。他は要約。

〔要約:数えで17歳の時、就労詐欺により台湾の慰安所に連行された。客を取れと言

われ驚き〕逃げようと考えたが、言葉も分からず道も分からず、頼れる人も知っている人もいないため、逃げることはできなかった。男と接したのはその時が初めてであり、乱暴な暴行を受け、軍人たちから強姦された。日本人の軍人が客の多数を占めていたので、慰安所において朝鮮語を使うことは暴力によって禁止されており、同女の呼び名も「フジコ」であった。同女は、1日に10人前後の…性交渉を強要された。休みは1か月に1日だけであり、自由な外出もできなかった。…食事は粗末であり、食べたい物を買う金もなく、あまりの空腹のため、…近くのバナナ園のバナナを取って食べ、…ひどく叩かれたこともある。同女は、台湾にいた5年間、慰安所の主人から金をもらったことはなく、位の高い軍人からもらうチップも慰安婦として身綺麗にしておくための化粧品を買える程度のものだった。…長年、性交渉を強いられたことにより、右の太股の下がパンパンに腫れ上がるという病気に罹り、その手術痕が現在でも残っている。

〔5年後、敗戦で帰国できた。以下略〕



(2)宋神道さん  在日韓国人裁判 東京地裁判決 (1999・10・1)

〔昭和13年、数えの17歳の時、騙されて中国の武昌の陸軍慰安所に連行され、〕

泣いて抗ったが〔無駄で、逃亡の度に〕殴る蹴るなどの制裁を加えられたため、否応なく軍人の相手を続けざるを得なかった。軍人が慰安所に来る時間帯は、兵士が朝から夕方まで、下士官が夕方から午後9時まで、将校がそれ以後と決められており、…連日のように朝から晩まで軍人の相手をさせられた。〔日曜日や通過部隊があるときは、〕数十人に達することもあった。軍人の中には、些細なことで激昂して原告に軍刀を突きつけたり、殴る蹴るの暴行を加えるものもあった。〔その刀傷痕や呼び名の金子の刺青痕、繰り返しの殴打によって右耳が聞こえないなど後遺症が残る。〕軍人は避妊用具の使用を義務付けられていたが、使用しない者もあったため、性病にかかり、妊娠する慰安婦もいた。〔宋さんも妊娠し、養子に出さざるを得なかった〕



(3)南二僕さん 山西省性暴力被害者損害賠償請求訴訟 東京地裁判決(2003・4・24)

長く詳しい事実認定なので、以下は要約です

南は、結婚して実家に戻っていた1942年、旧日本軍が作戦行動を実施した際、乙下士官が5・6人の部下と南の実家に押し入り、その場で強姦し、南を砲台近くの民家に拉致・軟禁した。南は乙下士官に専属的に強姦され続けた。両親が700銀元もの大金を日本軍に提供したが解放されなかった。纏足で走れないため逃亡は失敗し監禁された。意に反して彼の子供を出産、親戚はそのことで対日協力者として敵視し、実家に乱入して母と2人の弟を殺害した。約1年後、再び乙の後任の丙下士官の専属にさせられ、夜は砲台に連行されて連日、複数の日本兵に暴行され強姦され続けた。ある日、壁に穴をあけて逃げ出したが、怒った丙は実家に探しに来て生き残った弟を馬に縛り付けて引きずり回し大怪我を負わせ、家に火を放った。

日本軍が村を去ってようやく解放されたが、再婚しても子供が産めない体になったため養女を取った。また、被害者であるのに対日協力者とみなされて、社会から心身ともに迫害を受け、その苦痛と性暴力による婦人病の悪化などに堪えかねた後、1967年、首を吊って自殺するに至った。

フィリピンと台湾を除く35人の原告の事実認定は、一人ひとりの慰安所生活での強制性を具体的に認定しています。そればかりではなく、性暴力の被害の重層性と残酷さ(当時の性奴隷化はもちろん、戦後も家父長制社会からの蔑視・差別、今に続くPTSDなど幸福な一生を台無しにされた)を明確に認めています。海南島の被害者には、特に「破局的体験後の持続的人格変化」(人格と行動への深刻な障害)も認定しています。

ここにすべての例を挙げられないので、ぜひ、全「事実認定」をご一読ください。



■では、この判決の事実認定は証言をどのように吟味し、判断してなされたのでしょうか。

【4】被害者の証言を認定する根拠

もちろん、他の証拠(当時の歴史背景・現場写真・文書資料・目撃証言・研究者証言等々)と照らし合わせるとともに、以下のように判決の中で述べられています。



下関判決の例をあげます。

従軍慰安婦制度の実態及び慰安婦原告らの被害事実、

2、慰安婦原告らの被害事実

〔明瞭詳細な事実の確定が不可能な証拠状態であるため〕ここではひとまず証拠(甲1、甲3ないし甲6、原告朴頭理、原告李順徳)の内容を摘記した上、末尾においてその証拠価値を吟味し、確実と思われる事実を認定することとする。

〔次にくる(一)(二)(三)は、原告3人の陳述・供述が摘記されている〕

(四)、慰安婦原告らの陳述や供述の信用性

〔慰安所の詳しい所在地や人物・部隊名特定など詳細は分からないが、〕いずれも貧困家庭に生まれ、教育も十分でなかった〔上に〕高齢に達していることを考慮すると、その陳述や供述が断片的であり、視野の狭い、ごく身近なことに限られてくるのもいたし方ないというべきであって、その具体性の乏しさのゆえに、陳述や供述の信用性が傷つくものではない。かえって、…原告らは、自らが慰安婦であった屈辱の過去を長く隠し続け、本訴にいたって初めてこれを明らかにした事実とその重みに鑑みれば、本訴における同原告らの陳述や供述は、むしろ、同原告らの打ち消し難い原体験に属するものとして、その信用性は高いと評価され、反証の全くない本件においては、これをすべて採用することができるというべきである。



別の例として「河野談話」の場合をあげましょう。談話には



…慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言・強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。…



と書かれています。「河野談話」は政府調査結果(各省庁・国会図書館・米国国立公文書館等々260件以上の資料、「慰安婦」・軍人・慰安所経営者・研究者からの聞き取りを対象)に基いています。河野洋平元官房長官は、次のように述べています。

半世紀以上も前の話だから、その場所とか、状況とかに記憶違いがあるかもしれない。だからといって、一人の女性の人生であれだけ大きな傷を残したことについて、傷そのものの記憶が間違っているとは考えられない。実際に聞き取り調査の証言を読めば、被害者でなければ語り得ない経験だとわかる。相当な強圧があったという印象が強い。」、「それはもう明らかに厳しい目に遭った人でなければ証言できないような状況説明が次から次へと出てくる。その状況を考えれば、この話は信憑性がある、信頼するに十分足りるというふうに、いろんな角度から見てもそう言えるということがわかってきました。」(デジタル記念館の基金に関わった人の回想、朝鮮日報「私の立場に変わりはない」2012・8・30他。他に当時の石原信雄官房副長官も同様な意見を述べています)

■以上、一般的に「文書が無いからその事実もない」という論理は成立せず、当然、「軍による狭義の強制連行を示す文書が無いからその事実はなく、従って商行為(売春婦)であり、従軍慰安婦はいなかった、日本に責任は無い、河野談話の見なおしを!」という議論は、歴史歪曲であり、被害者の人権を重ねて蹂躙するものです。何より日本の司法が、被害事実を明確に認定していることを一人でも多くの皆さんに知ってほしいと思います。



■判決では、被害の事実認定だけではなく、加害の事実認定もしています。

【5】日本の加害事実を認定している判決

多くは、1993年8月4日、政府の二次調査発表の際、内閣外政審議室が出した発表文(調査結果のまとめ)をほぼ全面的に引用して、日本軍の慰安所制度の実態事実を認定しています(アジア太平洋、関釜、在日、海南島の各裁判)。

在日裁判(東京地裁判決・1999)で紹介します。   (高裁も地裁を引用して認定)

第三 争いがない事実など判断の前提として認定される事実

一 争いがない事実(資料に記載されていることが争いがない記載によって認められる事実を含む)

1 昭和7年…上海事変に際して、日本軍人による強姦事件が発生したことから、派遣軍参謀副長であった者の発案により、その頃その地に創設された海軍のものにならって、醜業を目的とするいわゆる従軍慰安所が設置された。…その頃から終戦時まで、長期に、かつ広範な地域にわたり慰安所が設置され、数多くの従軍慰安婦が配置された。当時の政府部内資料によれば、…慰安所開設の理由は、…日本軍人が住民に対し強姦などの不法な行為を行い、その結果反日感情が醸成されるのを防ぐ必要性があることなどとされていた。

2 …募集は、日本軍当局の要請を受けた経営者の依頼により、斡旋業者がこれに当たることが多かったが、…業者らがあるいは甘言を弄し、あるいは畏怖させるなど詐欺脅迫により本人たちの意思に反して集められることが多く、さらに、官憲が直接これに加担するなどの事例もみられた。…

3 …輸送に際し、日本軍は特別に軍属に準じて扱うなどしてその渡航許可申請に許可を与え、また、日本国政府は身分証明書の発給を行うなどした。

4 慰安所の多くは民間業者により経営されていたが、一部地域においては、日本軍が直接経営していた例もあった。民間業者が経営していた場合においても、日本軍がその開設に許可を与えたり、慰安所の施設を整備したり、慰安所の利用時間、利用料金、注意事項等を定めた慰安所規定を定めたりするなど、日本軍は慰安所の設置、管理に直接関与した。また、従軍慰安婦は、戦地では常時日本軍の管理下に置かれ、日本軍とともに行動させられ、日本軍は…定期的に軍医による従軍慰安婦の性病の検査を行うなどしていた。

〔注:「慰安婦」のためというより、兵士の性病予防のため。また、慰安所規定の中には、外出時間・場所を限定するなど「慰安婦」の管理も含む。〕

5 戦線の拡大の後、敗走という混乱した状況の下で、日本軍がともに行動していた従軍慰安婦を現地に置き去りにした事例もあった。

政府自らの調査、それに基いた司法の事実認定を無視した議論は、どういう根拠でもって、国に責任がないと言えるのでしょうか。



■こうした事実認定に基き、一部勝訴の判決や付言を付けた判決があります。

【6】一部勝訴判決、立法的・行政的解決が望ましいという付言を付けた判決

(1)関釜裁判・下関判決は、「極めて反人道的かつ醜悪な行為であったことは明白」「いわゆるナチスの蛮行にも準ずべき重大な人権侵害」で「損害を放置することもまた新たに人権侵害を引き起こす」とし、原告に立法不作為に基く精神的損害賠償を認めた勝訴の判決を導きました。(将来の立法により被害回復があることを考慮し各30万とした)

(2)山西省裁判・東京地裁判決も、「著しく常軌を逸した卑劣な蛮行」と述べ、損額賠償請求自体は棄却しましたが、「(過去形の判断である司法による救済は不可能だが)現在も原告らの心の奥深くに消え去ることのない痕跡として残り続けると思うと、…その損害の救済のために、改めて立法的・行政的措置を講ずることは十分に可能であると思われる」、「被害者らに直接、間接に何らかの慰藉をもたらす方向で解決されることが望まれることを当裁判所として付言せざるを得ない」と付言しています。

これらには、甚大な人権侵害の被害事実に直面しての裁判官の良心がうかがえます。



■以上、結論として、

1、「“文書”がないから事実(被害)を証明できない」ということは間違いであり、日本の司法が、“証言”を証拠調べなど吟味して、狭義の強制連行をはじめ、この問題にとってより本質的な慰安所での強制という被害事実を明確に認定しています。

2、 さらに、慰安所制度についての日本軍の責任についても、政府調査の“文書”によって事実認定しています(これは国側も「争いがない」)。政府調査以外にも長年、研究者の調査も重ねられ、慰安所制度に関し日本軍・政府の責任は明白です。

(陸軍経理学校で慰安所開設要綱を教えていたこと等枚挙に暇がありません)、「慰安婦」は(仕方なくであっても)自発的に行った「売春婦」であるといった右派の言説に対しては、政府自らが公的に厳しく反駁すべきです。

3、 従って「河野談話」の見直しは許されないことです。前安倍内閣自体が「河野談話」を継承すると断言し、各内閣が踏襲し、国際的に日本の公式見解となっています。これまでも国連の人権理事会(前身の人権委員会も)、各人権条約委員会(社会権規約委員会・自由権規約委員会、女性差別撤廃委員会、拷問禁止委員会)、ILO等々からも解決が何度も勧告されています。そうした中、見直しを強行すれば、2013年春、安倍政権に対して英米等から厳しく批判されたように、人権感覚の欠けた不名誉な国家として、アジアはもとより国際社会から孤立するに違いありません。