2013年10月5日土曜日

FJ 入門篇 9

9 解決のために、どうすればいいの?

「慰安婦」問題は、どう解決したらいいのでしょうか。そのために、なぜ「慰安婦」問題が第二次世界大戦後から半世紀もたった1990年代に登場したのか、日本政府の対応はどうだったのかも含めて、みていきましょう。



1990年代に登場した「慰安婦」問題

元「慰安婦」や性暴力をうけた女性たちは、日本軍・政府が放置(→入門編6)したこと、本人たちが過去のトラウマ体験によるPTSD(→入門編7)に苦しみ、性被害を訴えることができず、沈黙をつづけました。また日本軍の侵略をうけたアジア諸国・地域には、戦後の冷戦体制のもとで強権的な政権が長くつづき、民衆が日本軍による戦争被害を訴えること自体ができませんでした。

一方、日本では、1970年代から千田夏光『従軍慰安婦』(73年)など一連の著作や、沖縄在住の被害者・裵奉奇(ペ・ポンギ)さんを扱ったドキュメンタリー映画(『沖縄のハルモニ』)、「アジアの女たちの会」の会報『アジアと女性解放』などを通じて、「慰安婦」の存在は一部に知られていましたが、解決すべき運動の課題とはみなされませんでした。



しかし1990年代に転機が訪れました。1980年代に民主化運動を担ってきた韓国の女性団体は、日本政府が「(「慰安婦」は)民間業者が勝手につれ歩いた」(1990年6月)などと「慰安婦」問題への軍の関与を否定したことに抗議するなかで、解決を求めて1990年11月に韓国挺身隊問題対策協議会を結成したのです。運動体の呼びかけに応えて、1991年8月に韓国ではじめて実名で証言をはじめたのが金学順さんでした。金さんは同年12月に来日し、日本政府を相手取って補償を求めて東京地裁に提訴しました(「アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求事件」)。これが、「慰安婦」問題が日本のなかで社会問題化、さらに国際問題化される契機となりました。その後、韓国(在日韓国人含む)、フィリピン、台湾、北朝鮮、中国、インドネシア、オランダ、マレーシア、東ティモールなどの女性たちが現われ、証言をはじめました。日本や各国には、解決を求める運動や支援団体が生まれました。



書映1わかった「慰安婦」問題に対する日本政府の対応

一方、1992年1月に日本史研究者の吉見義明教授により軍関与を立証する公文書が防衛庁防衛図書館から発見されたという報道がされると、最初は軍の関与を否定していた日本政府は、一転して関与を認めました。その後、日本政府は2回の調査をして、1993年8月に「河野談話」を公表し、旧日本軍の関与と強制性を認め、「お詫びと反省」の意を表明しました。しかし日本政府は被害者個人に対する補償(国家賠償)は否定しました。そして補償ではなく、民間から募金を集める「女性に対するアジア平和国民基金」(1995~2007年)による事業を行いました。



この国民基金に対して、受け取った被害者もいましたが、「国民基金は補償ではない」「日本軍という日本国家の組織が行った犯罪なのだから、国家が補償すべきだ」として受け取りを拒否する被害者が続出しました。また国際社会も、国民基金は「被害者の法的認知と賠償への要求を満たすものではない」(1998年の国連マクドゥーガル報告)などと批判しました。2007年7月、アメリカ議会下院本会議の「慰安婦」決議は、日本政府に対し「明確であいまいさのない」謝罪を求め、同年12月の欧州議会「慰安婦」決議は、「被害者の賠償を求める権利を認めるべきである」と日本政府に勧告しました。補償をしないという日本政府の立場は、被害者にも、国際社会でも受け入れられないものです。



どう解決したらいい?

それではどう解決したらいいのでしょう(具体的には→解決編1−5へ)。

第一は、旧日本軍と日本政府が女性たちをその意思に反して性奴隷状態においたこと、それは当時でも違法であったということを日本政府が明確に認めることです(事実の認定)。「河野談話」は軍の関与と強制性を認めましたが、「慰安婦」制度を創設・運営した主体と責任をあいまいにしているという問題があります。このあいまいさが、国民基金のあいまいな解決方法につながっていると考えられます。被害者や国際社会は明確に「慰安婦」制度は「性奴隷制」であり、日本軍・日本政府に責任があると判断しています。さらなる真相究明のために、資料の公開も必要です。



第二は、日本政府による被害者への謝罪とその証である補償の実現です(謝罪と補償)。日本政府はすでに「当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題」(河野談話)だと認めたのですから、まっさきにすべきなのは被害者に対する明確であいまいさのない「謝罪と補償(国家賠償)」をすることです。



それは、①閣議決定や国会決議などの公的な形をとって国家の責任を明らかにした謝罪を行い、②被害女性一人ひとりに謝罪の手紙を届け、③立法などにより国家賠償をすることによって、実現できます。市民団体はすでに立法解決案を提案しています。



第三は、歴史教育・人権教育を通じて、同じことが繰り返されないように「慰安婦」問題の記憶を継承していくことです(記憶の継承)。日本政府はすでに河野談話で、「歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明」しています。これに基づき、実際に1997年度版の中学校歴史教科書から「慰安婦」に関する記述が登場しました。これは被害諸国・国際社会でも評価されました。



しかし残念なことに、1990年代後半から日本社会に「慰安婦」問題を否定する歴史修正主義が出てきて、これらの記述は2006年度版教科書から消えていきました。先に述べたアメリカ下院本会議決議や欧州議会決議は、こうした「記憶の抹殺」を憂慮して採択されたのです。さらに2010年代には日本政府レベルでも「慰安婦」問題を否定し、「河野談話」を見直そうという動きが活発になっています。しかし被害諸国だけではなく、アメリカやヨーロッパ諸国やオーストラリアなどの国際世論は、「歴史を否定する新たな試み」(2013年1月3日付「ニューヨークタイムズ」社説)などと、見直しに強い警告を発しています。



残念ながら、国際社会のなかで、日本政府の歴史認識と人権意識は、ガラパゴス化していると言えるでしょう。日本政府・社会は、女性に対する重大な人権侵害である「慰安婦」制度に対して、以上の措置を実行してこそ、被害者・被害諸国をはじめ国際社会の信頼をかちえることができるでしょう。また、きちんと過去を克服することが日本と日本人の新しい誇りになるでしょう。



【参考文献】

・「河野談話」全文 http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/kono.html

・日本の戦争責任資料センター・アクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」編『ここまでわかった!日本軍「慰安婦」制度』かもがわ出版、2007年

・「戦争と女性への暴力」リサーチ・アクションセンター(VAWW RAC)編、西野瑠美子・金富子・小野沢あかね責任編集『「慰安婦」バッシングを越えてー「河野談話」と日本の責任』大月書店、2013年