2013年10月5日土曜日

FJ 入門篇 7

7 女性たちは戦後どのように生きてきた?

韓国人元「慰安婦」の証言を数多く聞き取った研究者は、「『慰安婦』女性の被害は慰安所で終わるのではなく、そこからはじまる」(梁鉉娥)と指摘しています。これは中国人女性・フィリピン人女性・オランダ人女性など、アジア各国・地域の元「慰安婦」や性暴力被害者にも当てはまります。



女性たちの戦後の処遇(→入門編6)は民族の違いがありますが、彼女たちの戦後の人生は、民族の違いを越えて、よく似ています。現在でも性暴力被害者がその被害を訴えることは大変ですが、現在とは比べものにならないほど女性に「貞操」や「純潔」が求められる時代に生きてきた「慰安婦」被害女性たちは、戦後に性被害を訴えることができないまま、苦難にみちた歳月を送ってきたからです。ただしそのあり方は、まったく同じではありません。「トラウマ」「PTSD」を通して、彼女たちの戦後の人生をみてみましょう。



性暴力被害者に高いPTSD発症率

「トラウマ」「PTSD」という言葉を聞いたことがあると思います。トラウマとは命の危険にさらされたり、性的な侵害をうけたりといった「衝撃的な出来事にあったときに生じる心の傷(心的外傷)」のことです。あまりの衝撃に「言葉を失う」経験なので、「言葉になりにくい」「言えなくなる」というのがトラウマなのです。そのトラウマ反応の1つが 「PTSD」(心的外傷後ストレス障害、Post traumatic stress disorder)です。PTSD症状には、極度の緊張や警戒が続いたり、フラッシュバックや悪夢などでとつぜん記憶がよみがえったり、トラウマ体験を思い起こさせるものを避けたり、感情反応がなくなったり、自責の念にとらわれたりする、などがあります。



トラウマ体験にはジェンダー(社会的につくられた性別)の違いがあり、男性は災害・事故・暴力・戦闘、武器による脅迫などでPTSDが発症しますが、女性に圧倒的に多いのは性暴力被害です。しかも性暴力被害は、ほかのトラウマ体験よりもPTSDの発生率が高いといわれています(宮地尚子による)。「慰安婦」被害や戦時性暴力被害は、精神科医により「PTSD」あるいは「複雑性PTSD」と診断されています。ここでは、朝鮮人元「慰安婦」、中国人元「慰安婦」・性暴力被害者のケースをみていきましょう。



 PTSDと家族・社会からの疎外:朝鮮人女性の場合

韓国の被害者は慢性のPTSDが多いと診断されていますが、その根拠は次のようなものでした(梁鉉娥による。2000年韓国仁川サラン病院での被害者14人中11人)。



①「慰安婦」時代に自分や仲間が銃剣をもった軍人に殴られたりして死の脅威を感じ、無力感と恐怖を経験した。

②その後の人生で、男性、とくに軍人を見ると恐怖を感じたり避けたりした。

③当時の経験を考えまいと努力し、それらを思い起こさせるため、男性との接触を避け恋愛や結婚をしなかったりした。

④よく眠れない日が多い。

⑤これらの症状が数十年間反復し持続し、自ら命を絶ちたいと思うことが多い。



韓国挺身隊問題対策協議会が「慰安婦」申告被害者 192人を調査した結果によれば、被害者のほとんどが対人恐怖症、精神不安、鬱火(怒りを押さえすぎて起こる病気)、羞恥心、罪悪感、怒りと恨み、自己卑下、諦め、うつ病、孤独感など、深刻な精神的障害をもっていました。

後遺症は、精神だけでなく身体にも及びました。「慰安婦」時代に銃剣をもった軍人や業者による日常的な暴力や虐待によって、聴覚や視覚を失ったり、刀傷や傷跡、入れ墨がのこったりしました。



また長期にわたって繰り返された強かん経験は、女性の生殖器に治癒できないほどの傷を残しました。慰安所で性病(梅毒など)に感染した場合、戦後も治癒せず、性器や子宮異常の後遺症をわずらいました。コンドームをつけたがらない軍人がいたため、望まない妊娠をし、無理な中絶をしたりしました(出産や死産の例も少なくありませんでした)。不妊になった女性、結婚を望まない女性も多く、戦後は「結婚が当たり前」「子どもを産むのが女の務め」とされた家父長的な社会で、女性として生きる上で苦しみを与えられました。性病が次世代に引き継がれ、子どもの精神や肉体に影響が出る場合もありました。



社会的なレベルでも後遺症は残りました。戦後もつづく、女性に「貞操」「純潔」を求める家父長的な社会のなかで、これを内面化した女性たちは家族やコミュニティーに過去を知られまいと沈黙しました。自分を責めて、故郷に帰ることができなかったり、結婚が難しかったり(拒否したり)、男性と結婚・同棲しても不妊だったり、元「慰安婦」という噂で追い出されたり、貧困に陥ったりして、不安定な生活を送りました。自殺をはかった人もいました。日本政府が不法行為を認め償わなかったことが、これらを悪化させました。



PTSDと「針のむしろ」の孤独:中国人被害者たち

中国人など占領地の被害者はどうでしょうか。たとえば、中国山西省の被害女性たちは、日本人や植民地出身者と違って、これまで暮らしてきた地元で被害を受けました。そのため、家族・身内や身近な村人が被害者の性被害を知っていて、「針のむしろ」にすわる状態(つらい場所や境遇)におかれ、自分の被害を公に訴えることができませんでした。




書映2万愛花さんは、日本軍に拉致され、繰り返し強かんされ、拷問により骨折したため身長が縮まり、右耳も聞こえなくなりましたが、戦後は知り合いの目を避けるためほかの地域に移りました。被害事実を知った上で結婚し、夫婦仲がよかった場合でも、夫まで迫害をうけ、さらに日本兵から受けた被害の後遺症である婦人病が悪化して自殺した女性もいます。



6人の中国人被害者を診断したある精神科医は、被害女性は1つ1つの被害の記憶はありありとよみがえる(外傷性記憶)のに、その前後のつながりがはっきりしないというPTSDに特有な症状(「記憶の断片化」)を示したと診断しています。また、被害当時、年齢が10代だった女性もおり、児童虐待の側面が強く、「戦後50数年の月日を経ていてもPTSDは存在する」こと、「不安」と「抑うつ」(落ち込み)をもっていることを明らかにしています(桑山紀彦による)。



このように、日本軍による「慰安婦」制度や、組織的な強かんからはじまった性被害や、戦後につづく精神的・肉体的な後遺症や、社会的な烙印などのために、自分の過去や被害を訴えることができないまま、1990年代にはいって「慰安婦」問題を解決する運動(→入門編9)がはじまるまで、孤独と沈黙のうちに長い歳月を過ごさざるをえませんでした。



しかしながら、被害者の戦後の人生を検討した梁鉉娥は、「慰安婦」被害女性を「かわいそうで無力な被害者」とみるのではなく、証言をすること自体が大変な勇気を要すること、証言が自らの治癒につながることに注意を促しています。そのうえで、「慰安婦」被害を、精神的・肉体的・社会的なレベルにわたる「複合的なもの(complexity)」、「慰安婦」問題についての正義が樹立されないために苦痛がつづく「持続的なもの(continuity)」、被害への無関心・無視・わい曲など現在の社会との関係のなかで苦痛が再生産される「現在的なもの(contemporarily)」と分析しました。



被害者が名誉を回復するために重要なことは、まず私たちが「自分や姉妹・恋人・友人が被害にあったら(被害者だったら)」などの想像力をもって、彼女たちの被害や苦痛に対して関心をもち、共感することではないでしょうか。



【参考文献】

・アクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」編『証言 未来への記憶 アジア「慰安婦」証言集Ⅰ―南・北・在日コリア編 上』明石書店、2006年

・同『証言 未来への記憶 アジア「慰安婦」証言集Ⅱ―南・北・在日コリア編 下』明石書店、2010年

・梁鉉娥「植民地後に続く韓国人日本軍「慰安婦」被害」、同上『証言 未来への記憶 アジア「慰安婦」証言集Ⅱ―南・北・在日コリア編 下』2010年

・韓国挺身隊問題対策協議会『日本軍「慰安婦」証言統計資料集(ハングル)』2011年

・石田米子・内田知行編『黄土の村の性暴力-大娘たちの戦争は終わらない』創土社、2004年

・アクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」(wam)『ある日、日本軍がやってきたー中国・戦場での強かんと慰安所』(wamカタログ6)、2008年

・桑山紀彦「中国人元『慰安婦』の心的外傷とPTSD」『季刊 戦争責任研究』19号、1998年

・ジュディス L. ハーマン(中井 久夫訳)『心的外傷と回復』みすず書房、 増補版、1999年

・宮地尚子『トラウマ』岩波新書、2013年