2013年10月5日土曜日

FJ 入門篇 5

5 軍慰安所で強制はなかった?

慰安所での強制

日本軍「慰安婦」問題で最大の問題は、慰安所で強制があったかどうかです。女性たちがどんな形で連れて来られたにしても、たとえば豪華客船に乗せられて、陸上に上がっては高級車に乗せられて連れてこられたとしても、また、自由意思でやって来た場合でも、軍の施設である慰安所で軍人・軍属の性の相手を強制されれば、軍の責任は免れません。



この点について、1993年の河野洋平内閣官房長官談話は「慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった」と明確に認めています。この見解は、ごくまともなものです。なぜなら、被害にあった多くの女性たちの証言があるからです。また実際に慰安所に通った、かなりの軍人・軍属たちが慰安所の凄まじい状況を見てたじろいでいるように、被害者の証言と一致するからです。



軍「慰安婦」制度は性奴隷制度だった

また、「慰安婦」制度が性奴隷制度だったとすれば、そのような制度のもとで軍人・軍属の性の相手をさせられる女性たちは、自由意思でそうしているとはいえません。



次の表は、「慰安婦」制度と、日本国内にあった公娼制度とを比較したものです。公娼制度も「慰安婦」制度も、どちらも性奴隷制度ですが、形態上の相違も少しあります。

居住の自由外出の自由自由廃業拒否する自由
公娼制度なかった。なかった。
1933年からは認めるよう内務省が指導。
法律上の規定はあった。しかし、実現することは極めて困難だった。建前は自由意志ということになっていたが、拒否することは困難だった。
「慰安婦」制度なかった。なかった。なかった。拒否は殆ど不可能。

公娼制度と「慰安婦」制度では、ともに女性たちに居住の自由がありませんでした。管理・統制された一角にある住居に住まなければならないということで共通しています。「慰安婦」は決められた狭い部屋で起居し、生活しなければなりませんでした。



公娼制度では、女性たちは「籠の鳥」といわれ、外出の自由が認められていませんでした。しかし、1933年から内務省は、許可制であれば外出の自由はないということになるとして、許可制をやめ、外出の自由を認めるよう指導をしています。なぜ、そういう指導をせざるをえないかというと、公娼制度は性奴隷制度ではないかとの批判を外国から受けるのですが、その理由の1つが許可制のため自由に外出できない、というものでした。その批判をかわすための指導だったのです。

これに対して、「慰安婦」制度では日本軍は外出の自由をそもそも認めていません。軍がつくった軍慰安所規定を見ると、外出の自由を認めない規定がいくつかあります。中国の常州に駐屯していた独立攻城重砲兵第二大隊が1938年に作った「常州駐屯間内務規定」では、「営業者ハ特ニ許シタル場所以外ニ外出スルヲ禁ス」といっています(「営業者」とは「慰安婦」のこと)。ある一定の許可した場所以外に外出を禁ずるということは外出の自由がなかったことになります。



比島軍政監部ビサヤ支部イロイロ出張所(パナイ島イロイロ市)の規定(1942年)でも、「慰安婦外出ヲ厳重取締」、「イロイロ出張所長ノ許可ナクシテ慰安婦ノ連出ハ堅ク禁ズ」という条項があります。許可制なので外出の自由はなかったということになります。



公娼制度も性奴隷制だった

また、公娼制度では、それが性奴隷制度ではないというために、内務省は自由廃業の規定を作っていました。自由廃業とは、遊郭の中で売春をさせられている女性が辞めようと思えばすぐに辞められるという権利を認めるということです。



ただし、これは実際には機能しません。なぜかというと、自由廃業の規定があることを遊郭に入れられている女性たちはそもそも知らなかったのです。仮に知ったとしても、業者が妨害して警察に届け出られませんでした。運良く警察に届け出たとしても業者は必ず裁判を起こし、借金を返せといいます。裁判になると、売春で借金を返すという契約は公序良俗に違反しているので無効だけれども、借りた借金は返さなければいけないという判決がほぼ必ず出ます。そうすると借金を返せない女性は、自由廃業の規定があっても、そのまま遊郭に拘束されてしまうのです。



ですから公娼制度は、事実上の性奴隷制度だといわざるをえません。これに対して「慰安婦」制度はどうであったかというと、自由廃業の規定はそもそもないのです。最初からから無視されています。



拒否する自由はあったのでしょうか。公娼制度では建前では自由意思となっていますが、借金を返さなければいけないので、拒否することは困難だったでしょう。「慰安婦」制度の下では拒否はほとんど不可能でした。拒否すれば業者か軍人から殴られることになります。



このように公娼制度も「慰安婦」制度も共に性奴隷制度でした。違いがあるとすれば、公娼制度は、市民法下の制度なので一応性奴隷制度ではないような外見を伴っていますが、実質は性奴隷制度だったということです。「慰安婦」制度は軍法下の性奴隷制、文字通りむき出しの性奴隷制度であったということになります。そのような制度のもとで軍人の性の相手をさせられる女性たちは強制的にさせられたのだ、といわざるをえません。