2013年10月5日土曜日

FJ 入門篇 3

3 女性たちはどのようにして集められた?

日本・朝鮮・台湾から

戦地・占領地にいる日本軍部隊が慰安所の設置を決定すると、日本・朝鮮・台湾など「日本帝国」領土で集める時には、軍が業者を選定するか、内務省や総督府に業者の選定を依頼し、その業者に集めさせます。日本内地からは、警察が出国の制限をしていましたので、売春の前歴がある、21歳以上の女性がほとんどでした。しかし、日本から送り出される女性の殆どは家庭が貧しいため、遊郭などに入れられていた人身売買などの被害者だったのです。



業者は女衒とよばれる人身取引業者から選ばれることが多く、とくに朝鮮・台湾では、女性たちは刑法に違反する略取・誘拐や人身売買により集められ、国外に移送されることになります。また、売春経験のない女性や、婦人・児童の売買禁止に関する国際条約が禁止している満21歳未満の女性が国外に移送されることになりました。



日本・台湾で集められた女性たちは軍用船で戦地に送られました。朝鮮で集められた女性は、汽車か軍用船で戦地に送られました。そこから軍のトラックなどで目的地まで移送することになります。



中国・東南アジア・太平洋地域で集められた女性たちは、慰安所が現地にある場合はそのまま入れられます。海外に送られる場合は軍用船で移送されました。



中国・東南アジア・太平洋地域から

中国・東南アジア・太平洋地域の戦地・占領地で地元の女性を集める場合は、地元の「売春婦」を慰安所に入れるだけでは足りずに、軍が売春経験のない女性を集めました。その方法は、市長・村長など地元の有力者に命じて集めさせる場合や、軍が直接集める場合がありました。

第1の場合は、その地域の差別されている家庭か、貧しい家庭の女性が、地域の治安・安全のためだからと説得され、半強制の形で、「慰安婦」にさせられることになります。半強制のケースを示す資料としては、たとえば独立山砲兵第二連隊第二大隊の軍医の日記があります。1940年8月、中国湖北省董市近郊の村で、地元の中国人女性を軍「慰安婦」にするため、性病検査をした日記です。
さて、局部の内診となると、ますます恥ずかしがって、なかなかクーツ褲子〔ズボン〕をぬがない。通訳と〔治安〕維持会長が怒鳴りつけてやっとぬがせる。寝台に仰臥位(ぎょうがい)て触診すると、夢中になって手を掻く。見ると泣いている。部屋を出てからもしばらく泣いていたそうである。

次の姑娘(クーニャン)も同様でこっちも泣きたいくらいである。みんなもこんな恥ずかしいことは初めての体験であろうし、なにしろ目的が目的なのだから、屈辱感を覚えるのは当然のことであろう。保長や維持会長たちから、村の治安のためと懇々と説得され、泣く泣くきたのであろうか?

なかには、お金を儲けることができると言われ、応募したものもいるかも知れないが、戦に敗れると惨めなものである。検診している自分も楽しくてやっているのではない。こういう仕事は自分には向かないし、人間性を蹂躙(じゅうりん)しているという意識が、念頭から離れない。(溝部一人編『独山二』私家版・山口県)
日本軍の要求なので、断りきれず、村の有力者の圧力で、半強制的に差し出されたという事情がうかがわれます。



第2の場合は、部隊が布・食料・塩などを与えて女性を集めました。また、部隊が暴行・脅迫を用いて直接連行することもすくなくありませんでした。これについては、Q&A「暴行・脅迫による連行はなかった?」をみてください。