2013年10月5日土曜日

FJ 19 Q&A

6 スマラン事件で日本軍は責任者を罰した?

歴史事実委員会が『ワシントンポスト』(2007年6月14日)に出した広告では、「〔スマラン事件に関与した〕責任ある将校たちは処罰された」と書かれています。これは事実でしょうか。

事件が発覚してから、間もなくここの慰安所は閉鎖されました(1944年2月開設、約2ヵ月後に閉鎖)。しかし、注意とか譴責はあったかも知れませんが、厳重な処罰はなされていません。

その証拠に、管轄する部隊のトップは、南方軍幹部候補生隊隊長兼スマラン駐屯地司令官の能崎清次少将でしたが、彼は、事件の直後の6月に独立混成第56旅団長になり、1945年3月には中将に昇進しています。4月には第152師団長に就任して、内地に帰り、千葉県銚子附近で本土決戦に備えているのです。

また、たとえば、オランダによるBC級戦犯裁判で10年の懲役刑を受けた幹部候補生隊副官の河村千代松大尉は、1944年12月には少佐に昇進しています。

処罰されていればありえない処遇です。