2013年10月5日土曜日

FJ 17 Q&A

5 「従軍慰安婦」というのは存在しない?

「従軍慰安婦」を教科書から削除するように要求する理由の一つが、「従軍慰安婦」という「言葉自体が存在しなかった」し、「従軍」という言葉は「軍属の身分を指し示す言葉」であるから不適切だというものです(藤岡信勝「文部大臣への公開書簡」)。
しかし本当にそうでしょうか。当時の日本軍は彼女たちのことを初めのころは「酌婦」「慰安所従業婦」などいろいろな言い方で呼んでいましたが、「慰安婦」と呼ぶことが一般的でした。彼女たちのいる場所は「慰安所」「軍慰安所」と呼ばれていました。



「従軍慰安婦」という言葉は、この問題の先駆的な研究である千田夏光氏の『従軍慰安婦』(初版は1973年)が使いはじめ、その後広く使われるようになりました。日本軍の行くところ、どこにでも連れられていくありさまは「従軍」という言葉がピッタリだったからでしょう。



しかし1990年代に入ってから、「従軍」という言葉は女性が自発的についていったというニュアンスがあり、また「慰安」という言葉も実態にあわないという批判が戦争責任問題に取り組んでいる人たちから出てきました。女性たちは無理やり性的相手を強制された性犯罪の被害であり、けっして「慰安」したのではない、実態とはかけはなれた、欺瞞的な言葉だという問題があります。そこで「慰安婦」に代わって「性的奴隷」や「(軍用)性奴隷」という呼び方も使われるようになってきました。
しかし一方では、実態とは違うけれども歴史上そのように呼ばれていたのは事実であり、日本軍が欺瞞的にそういう表現をしていたことは歴史の事実として記録する必要があるとも言えるかもしれません。ただ「従軍」という言葉を避け、かつその主体をはっきりさせるために「日本軍慰安婦」という言葉を使うことが多くなってきました。

しかし「従軍慰安婦」という言葉がまちがいであるとはいえません。「従軍」には「軍属」という意味が含まれていないことは少し調べればわかることです。また「従軍看護婦」「従軍記者」「従軍作家」などの例を見ても、徴用で無理やり召集された人たちもいますから、「自発的」という意味があるという主張は成り立たないでしょう。軍隊本体ではないけれど、軍隊が行くところに従っていく人たちという意味で、「従軍慰安婦」という表現は、実態を適確に表現しているとも言えます(この点は論者によって評価が分かれるところですが)。

当時そういう言葉がなかったから使うべきではないというのならば歴史を書くことはできません。たとえば第一次世界大戦や第一次護憲運動、日清戦争、日露戦争、日中戦争、幕藩体制、縄文時代、弥生時代をはじめ、歴史で使う言葉の多くがあとから作られた言葉であることは言うまでもありません。
「従軍慰安婦」という言葉は当時なかったから、そんなものは存在しなかった、とか、教科書に書くなという議論は歴史をまったくわかっていない、こっけいな議論でしかありません。