2013年10月14日月曜日

朝日 「東南アジアでは聞き取りしなかった」

慰安婦問題の拡大阻止 92~93年、東南アで調査せず

 旧日本軍の慰安婦問題が日韓間で政治問題になり始めた1992~93年、日本政府が他国への拡大を防ぐため、韓国で実施した聞き取り調査を東南アジアでは回避していたことが、朝日新聞が情報公開で入手した外交文書や政府関係者への取材で分かった。韓国以外でも調査を進めるという当時の公式見解と矛盾するものだ。

インドネシア「非難声明、穏当にした」

 「河野談話」が出る直前の93年7月30日付の極秘公電によると、武藤嘉文外相(当時)は日本政府が韓国で実施した被害者からの聞き取り調査に関連し、フィリピン、インドネシア、マレーシアにある日本大使館に「関心を徒(いたずら)に煽(あお)る結果となることを回避するとの観点からもできるだけ避けたい」として、3カ国では実施しない方針を伝えていた。

 日本政府は当時、内閣外政審議室長が「(調査)対象を朝鮮半島に限っていない」と答弁するなど、韓国以外でも真相究明を進める姿勢を示していたが、水面下では問題の波及を防ごうとしていたことになる。

 インドネシア政府が日本政府の慰安婦問題の調査は不十分などと抗議する声明を出したことについて、外務省の林景一南東アジア2課長(現駐英大使)が92年7月14日にインドネシアの在京公使に申し入れた内容を記す文書もあった。

 林氏は「信用できないと断定されたに等しく、残念」と抗議。両政府間で戦争賠償は決着しており、慰安婦への補償を求められることは「ありえない」と批判した。さらにインドネシア政府の担当者が声明を発表した際、旧日本兵の処罰を求める発言をしたことに触れ、「韓国ですら問題にしていない。かかる発言は驚き」と非難した。

 当時の宮沢内閣で慰安婦問題を仕切った政府高官は「問題が大きくなっていた韓国以外には広げたくなかった。問題をほじくり返し、他国との関係を不安定にしたくなかった」と語る。

■韓国と別対応、収束急ぐ
 《解説》被害者は韓国女性に限らないのに、慰安婦問題は「日韓の政治問題」という印象が定着した。背景には、日本批判が高まった韓国と他国を切り離して対応し、事態の収束を急ぐ日本の外交方針があった。
 当時の宮沢内閣は役所に眠る資料を探し、韓国では聞き取り調査をした。韓国世論の高まりに対処するための異例の態勢だった。その韓国では今も慰安婦問題は収まっていない。
 一方、韓国に刺激されて世論が高まり始めた東南アジアでは真相解明に後ろ向きで、聞き取り調査をしなかった。戦場だった国々に慰安婦問題が波及して深刻な実態が明らかになるのを恐れた、と当時の政府高官は明かす。東南アジア諸国も経済発展を優先し、途上国援助(ODA)を受ける日本政府との関係悪化を恐れて政治問題化を避けた。
 政府間の思惑が一致した結果、置き去りにされたのは被害者だ。今夏、インドネシアで彼女らを取材した。大半は90歳前後。インドネシアでは、日本政府が主導したアジア女性基金の「償い金」は同国の意向で元慰安婦に渡らず、元慰安婦に限定しない福祉事業にほぼとどまった。救済どころか、実態調査さえ行われていない。これが20年後の現実だ。
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 〈慰安婦問題〉 旧日本軍の要請などにより各地に慰安所が設けられた。加藤紘一官房長官は92年7月、政府の関与を認める調査結果を発表。河野洋平官房長官は93年8月の談話で「当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた」と認めた。

朝日 2013.10.13
http://digital.asahi.com/articles/TKY201310120357.html?ref=comkiji_txt_end_kjid_TKY201310120357